2017年1月15日日曜日

なぜドイツ?

なぜドイツにいるのか、知り合いから質問されることがあります。

今回は科研費の「国際共同研究加速基金」というファンドの助成でこちらに来ていて、現在は主に「身体性と自己意識」について研究しています。が、寄せられる質問の意図はそういうことではありません。もともと身体論が専門でメルロ=ポンティを主に参照しているならフランスに行きそうなのになぜドイツなの?、という意味です。

以前こんな文章を某学会のニュースレターに書きました。前回、2013年〜14年にかけてドイツに滞在したときに書いたものです。いま同じ場所に来ているのも、前回滞在したときに充実した研究ができたという理由によります。

というわけで、以下再録です。次に同じ質問をされたらこのページのURLを教えることにします(笑


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 2013年10月から、独ハイデルベルク大学(社会精神医学センター・現象学セクション)にて在外研究中である。「身体論が専門でメルロ=ポンティを読んでいるのに、どうしてフランスではなくてドイツなのか?」――多くの知人からそう聞かれた。

 話せば長くなるが、ぐっと圧縮して書くと次のようになる――。私はもともと心理学方面から身体論を吸収してきた。「身体」という基盤から出発することで、種々の心の機能をどのように理解し直すことができるのか、また、心の概念を総体としてどう刷新することができるのか、そうした関心のもとで研究を進めてきた。いわゆる「身体性認知 embodied cognition」や「身体化された心 embodied mind」の領域にメルロ=ポンティ現象学からアプローチすること、これが私の研究である。

 しかしこの研究、分け入って探求を進めるほど、問題が心身関係だけに閉じていないこと、また閉ざすべきでないことがよく分かってくる。身体は心と関係しているだけでなく、外部の環境や他者の身体とも関係している。この点の延長線上に「他者の心はどう理解できるか」という問いが待ち受けている。これは心理学方法論にかかわる問いでもあるし、哲学で他我問題として論じられてきたことにもかかわる。現象学では間主観性の概念のもと、フッサール以来多くの議論が重ねられている。

 私の専門からはそれるが、脳神経科学も部分的にこれと並行して興味深い進展をたどっている。知覚や記憶といった心の機能(一人称)を脳の活動(三人称)と対応させて理解することが脳研究の基本的な枠組みだが、近年、ミラーニューロン研究の進歩とともに、問いの様相が一部でダイナミックに変化している。ミラーニューロンの説明は字数の関係で省略するが、重要な論点のひとつは、身体性と行為を媒介して複数の脳が共鳴するということ(二人称)が、さまざまな事象に沿って明らかにされつつある、ということだ。

 ミラーニューロン以外にも心の理論や自己・他者認知など個別のトピックは多々あるが、心理学・認知科学・神経科学といった心の諸科学では、二人称的観点や間主観性に深くかかわる社会的認知social cognitionが近年クローズアップされており、身体性の観点からこの問題にどう切り込んでいくかは、心の科学にとって重要な課題なのである。

 さて、ハイデルベルクである。現在ヨーロッパでは、5カ国8大学(フランスには提携機関がない)を結ぶ学際的研究プロジェクト「Towards an Embodied Science of Intersubjectivity(略称TESIS,間主観性の身体化された科学に向かって)」が進行している。上に述べた課題をまさに追究しているプロジェクトなのだが、その中心的拠点がここハイデルベルク大学に置かれている。TESISはきわめて学際的で、現象学を理論的基盤として重視しながらも、神経科学、発達心理学、認知科学、精神病理学といった心の諸科学と密接に連携して研究が進められている(ここはもともと現象学的精神病理学の世界的拠点である)。

 ともあれ、身体性・間主観性・社会的認知を結ぶ研究を進めるべく、私はここハイデルベルクに滞在している、というわけなのである。
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